眼鏡の見え方の「違和感」について考える⑤
こんばんは!プラオプ ハセガワです。
「違和感について考える」5回目は先回の続き。
先回は、空間が今までと比べて歪んで感じるよ。と言うお話でしたが、今日は「両眼視」が整う事によって起きる違和感についてです。
「両眼視」が整うとは?
人はなぜ2つの目をもっているのか?
それは目が一つでは感じる事ができない感覚があるからです。
それが「立体感」「奥行き感」「距離感」など「空間」を感じる感覚です。
おおよそ人の目は左右に60mmくらい離れています。
だから同じ物を見ても右目と左目では見る角度が違うわけです。
こんなふうに目の前にある「箱」をみると右目は箱の右側面が見え、左目は箱の左側面が見えます。
単純に比べたら、全く違う図形だといってもいいくらい違います。
「でもオラ、片目でも立体感かんじるぞ!」
と思った方。実はそこが今日の話の結論なんですが、それはあとに置いておくとして・・・
じゃあ実際に最近成長が著しい多肉ちゃんを撮影してみました。
下は右目の位置から撮った写真。
さて、ひょろひょろと伸びている茎ですが、どれが一番手前で、どれが一番奥にあるでしょう?
・・・さっぱりわかりません。
今度は左目の位置から撮った写真。
これでもサッパリわかりません。
後ろのスリッパはボヤけているから後ろにある感じはしますね。
こんどはこれを左右に並べてみます。
画面と鼻の間の中間位の距離、写真の下を支えるような感じで人差し指を立ててみてください。
そうすると、画像がぼやけながら3つ見えるようになります。ならなかったら指を前後して3つにみえる位置をさがしましょう。画面はぼやけていていいですよ。
3つにできたら、真ん中の画像をしばらくそのまま見ていましょう。すると徐々にハッキリになってきます。
指を使わなくても出来る人はそのままエイッ!とやってください。どうしても出来ない人はごめんなさい・・・。
すると、真ん中にみえた画像では、下の沢山生えているところから、一本手前にビヨーンと飛び出しているように見え、上のひょろひょろ生えているのは、真ん中の一個左が一番手前、次に真ん中、そして右が奥の順に奥行きがあるように見えるんです。
左右で見える映像に差があり、それを合成する事によって「感覚として立体感、奥行き感を感じる」というわけです。
眼球一個で映る映像はこのように一枚の平面的な写真と同じです。
つまり・・・
両目がキチンと同質の鮮明を見ることがでる。
見たいものに向かって上手く視線を合わせられる。
コレができて両目の映像を合成する準備が整うわけですが、このいずれかが上手くいっていないと、感覚的な立体感は感じられないのです。
「オラ、片目でも感じるよ!」というあなた!それはとても幸運な事です。つまり、両目で世界を立体的に感じる事が当たり前になっているから、方目を閉じても「見えている世界は立体であるはず」という今までの経験がそのように感じさせているのです。
ということは、何らかの原因でそれが出来なかった人にとってはどうでしょうか?
メガネやトレーニング、あるいは手術なので両目をうまく協調させる事ができるようになったとしたら・・・
突然世界は立体となって現れるのです!!
モノが立体になり、街を歩けば道は奥に向かって遠く見え、車を走らせたらスピードを感じるようになる・・・。
・・・
この変化・・・
「違和感」だらけだと思いませんか?
つまり、正しく整い、本来の機能が使えるようになる事。良い変化になったとしてもそれは「今までと違う」「全然違う」という感覚になり、あたらしい感覚を体の動きに同調させるにも誤差がでるのは当然なわけです。
それだからといって整わないほうがいいのでしょうか?
それは人それぞれかもしれませんが、目が2つある以上、ひとの機能は立体感を感じるように出来ている。目は本質的にそれを求めようとして頑張るけど、それが得られないから不調を感じる・・・ともいえます。
目が本来の機能を果たそうと頑張るなら、それが果たしやすい環境を作ってあげれば、不調の解決にも繋がるかもしれません。
だとしたら、そこで得られる「新しい感覚」は違和感として最初かんじるでしょう。
でもそれは「正しい変化」ともいえるのです。
それではまた次回・・・こんどはピント合わせの変化です
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