色と感覚③ー違いと理解ー
独特の色彩感覚を持っていたとしても、それに気がつくのは他の誰かと比べられて初めて気がつくものです。
大多数の人が持つ色彩感覚と違う感覚を持っていると「色」によって表される「情報」を見誤ったり、不得意な場面が出てきてしまう事があります。
その昔、学生に色覚検査が行われていました。また就職の時の健康診断でも色覚検査があったそうです。
今はあまり言われなくなりましたが「色盲」「色弱」という言葉があるように、何かの資格であったり仕事の中には挑戦することもできないような社会だったわけです。
しかし、近年は色覚検査は行われなくなり、全てではありませんが色彩感覚の違いによるそういった不平等が、かなり無くなったようです。
そして「カラーユニバーサルデザイン」と言うような、公共の案内板など、様々な表示物を色彩感覚の違いがあっても全ての人に分かりやすく、間違えにくい工夫が推進される事が当たり前になってきました。
とても良い事のように感じます。
しかし「色覚検査」が必ず行われていた当時は、そのタイミングで自分の色差感覚がどのようなものか?を客観的に知る事ができていたわけですが、現在は自分の色彩感覚の特徴を調べる機会がないから知らないままでいる・・・と言う事が起きています。
人工的な物は工夫する事ができます。
しかし、自然の物はそういったわけにはいきません。
食べのの鮮度がわからなかったり、焼肉の焼け加減がわからなかったり、真剣に描いた絵の色合いでふざけていると叱られたり・・・
独特の色彩感覚を持っている人がそれに気がついていない。周りの人も色彩感覚の違いに気がついていない。
そういった理解の齟齬はいくら社会が平等になっても無くなるわけではありません。
色彩感覚に対するネガティブな感情が少なくなったとしても、「色彩感覚の違い」を知る機会がなければ、理解を広げる事ができるのだろうか?と僕は思ってしまいます。
そういったこともあって、最近学生に「色覚検査」を行う動きも出てきているようです。
つまり、「何かができない」という事ではなく、自分の特性を自分自身、家族、教育の現場が知ることによって、その子が不利益にならないようにして様々な可能性にチャレンジできるようにするためです。
独特の色彩感覚は、一般的な感覚では難しい場面で能力を発揮する事があります。一説によると人類の進歩はそういった感覚の多様性があったからこそ、とも言われています。
大切な事は「なかったことにする」のではなく、「知って理解する事」であり、不得意を補う工夫を取り入れたりすることで、自分の持つ能力+αを引き出せたらいいのだろうと思うのです。
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