色と感覚⑬ー色彩感覚の違い
人間は3種類の錐体細胞「L錐体」「M錐体」「S錐体」があります。
そして「L錐体」と「M錐体」は大変似ています。
だから場合によっては「L錐体」と「L錐体」と「S錐体」を持っていたり、「M錐体」と「M錐体」と「S錐体」を持っているという場合もあるようです。
するとどうなるでしょう?
この図には「S錐体」はありませんが、ある波長の範囲は単に明るさの違いになって、色の違いとならないことになります。
前回の記事にあった「ハイブリッド錐体」の存在も考えると人には多種多様な色彩感覚の違いがあるわけです。
その違いがいわゆる「色弱」「色盲」と呼ばれているものというわけです。
色彩感覚の違いを理解するのは?
さて、たとえば「赤」と「緑」の違いが分かりにくい、いわゆる「赤緑色盲」の場合に長岡市の洪水ハザードマップはどう見えるでしょうか?
この画像が下のように、赤と緑がグレーっぽくなり、全体に青っぽく見えるのか?
というと、どうやらそうでも無さそうなのです。
上と下が違うように見えるのとしたら、読んでくださっているあなたが「一般的といわれる色彩感覚を持っている」からで、「赤」と「緑」を知っているからそう見えるのです。
「赤」と「緑」の区別がつきにくい色彩感覚を持つ場合は上の2つは同じに見えるか、大変よく似た色合いに見えたりします。だけど、「色が見えない」わけではありません。ましてや、下の画像のような色合いで世界が見えているわけでもありません。
ではどうなっているのか?といえば「わからない」が答えだと思います。
なぜならば、感じる事ができないものは初めから存在しない事と同じであり、その人にしてみたら見えている世界はそれが全てで何もおかしな事はないからです。それに色彩感覚は頭の中で作られている物。元々光に色なんて付いておらず、その他の錐体細胞(この場合はS錐体)や桿体細胞、他の感覚、そしてなにより「経験」によって頭の中に描かれる世界は色づいてみえるからです。
つまり上の2つの画像の違いは「赤緑色盲」の見え方を表したものでは無く、「一般的な色彩感覚」の人に「色の区別が難しい」事の意味を説明するための物と言えます。
「色盲」「色弱」(錐体細胞が1種類しかない1色覚を除く)の問題とはなんでしょう?
私たちを含めた哺乳類の多くが「2色覚」と言われています。しかし生存には全く問題がありません。
色彩感覚の違いが問題になるのは私たち人間が他の動物とは違い、遥か高いコミニュケーションをとり、高度な社会を作っているからです。
私たちは「色の違い」を情報として使い意思の疎通を行います。それはみんなが同じ色彩感覚である事が前提です。そしていわゆる「普通」とは常に「大多数」のことを指すものです。
つまり「色」を使ったコミニュケーションにズレが出てしまい、他の誰かに指摘されて初めてそれが「問題」となるのです。
あなたが「正常といわれる」色覚を持っていたとします。
そして実物通りの色鮮やかな絵を描いたとします。
それを誰かに見てもらったら「なんか色が違うよ?」と言われたとしたらどうでしょうか?
一人や二人ならまだしも皆んなが「違う」という・・・
しかし、あなたにとってはどこからどう見ても、見たまんま正確に色が塗られています。
それは大きな戸惑いになるのではないでしょうか?
あなた鑑賞するだけなら問題なんてどこにも無いのです。他の誰かに見せた事でそれは「問題」になったのです。
色による意思の疎通にズレがでる。
それが色彩感覚の違いです。
色覚の多様性に配慮する
大多数の「正常」と言われる色覚を持っていたとしても、判別できない色があります。
そう考えると、「色盲」「色弱」といわれるものは一つの個性と捉える事ができるかもしれません。
逆に大多数の方の色彩感覚では判別がつかない光の波長の違い(色)がわかったりするからです。
そういった色彩感覚の違いを「色覚の多様性」というようになりました。
複雑な人間社会において「色」を情報として使わないわけにはいきません。
そこで、区別がしやすい色を選んで使ったり、色と同時に明るさの違いや模様やシンボルを追加したりなど、あらゆる色覚特性の方が生活しやすいように「ユニバーサルカラーデザイン」という考えが浸透してきており、実際に使われるようになっております。
そのように人工的なものは人が工夫することができます。
しかし、自然固有のものや、色を提供したりされたりするような場面など、完全にそれが無視できるようにする事は不可能です。
人の個性を尊重する。それは色彩感覚にも言える事で、みんなに知っていてほしいな・・・と僕は思うのです。
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