「視覚」ってなんだろう?
「視覚」とは単に「見える」ということではありません。
「視力」=「視覚」でもありません。
みなさんは「猫」と「犬」の区別がつくと思います。でもなんで区別がつくのでしょうか?
4本足で毛むくじゃらの生き物を初めてみたときに、それが「犬だよ」と覚えたとしたら「猫」だって「犬」と思うのではないでしょうか?
でも大きさが違ったり、動き方が違ったり、鳴き声が違ったりという事を感じて、それが違うもの「猫」という生き物だと教えられて「犬」と「猫」の区別が出来る。
つまり見ている物がなにか?を理解するためには「学習」が必要なのです。
私たちが見ているものを意味ある情報として捉えるには、今までの経験と学習があるからこそなのです。
ですが、見ている物が常に同じ形で見えるわけではありません。
というのは「本」を真上から見れば「長方形」だけど、少し前に置けば「台形」に見える、ちょっと斜めに持ち上げれば「平行四辺形」にみえたりと自分の位置によって見え方は変わるのに、それが「本」であると認識できる。
これは、すごいことだと思いませんか?
これが出来るのは「空間」を理解しているからです。
「重力」があるから上下がわかり、三半規管が働くから左右の動いている感覚がわかる。そして「両眼視機能」があるから「奥行」がわかる。
そうやって人は生きている空間を空間として認識するし、見えている世界を意味あるものとして認識できるのです。
さらに、全身に張り巡らされたセンサーが体の動きを脳にフィードバックします。
それによって「見えた情報」に触れようとした時、失敗を繰り返して体の動きを学習し、触れたものの柔らかさ、温かさ、重さ、速さ、痛み・・・様々な感覚を通して「世界にアクセス」するのです。
そうして人は「空間における自分の存在」を実体あるものとして理解するのです。
「視覚とは見える世界との関わりだ」としたら「世界の見え方の入り口」にあたる「目」に入る光を整える「眼鏡」と「眼鏡技術者」の役割はとても広いものであるはずです。
眼鏡を作る時に最も大切なこと、それは「ゆっくりと会話する時間」なんじゃないかなぁと思うプラオプでした。
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