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「進化の道具⑥」ー僕とITの進化ー

こんばんは! プラオプ ハセガワです。

前回まで「視力」と「眼鏡」の関係のお話でした。

「進化の道具⑤」ー視力が下がったとは?ー

「時代の変化」についてを少し。

パコソンが「普及」したのっていつごろでしょう?

僕の話で恐縮ですが、自分のパソコンを買ってもらったのが1986年だったかな?

MSXというホビーパソコン。BASICというプログラミング言語でオリジナルのゲームが作れたりしました。

今はWindowsとMacの大きな2つの勢力が大多数を占めますがWindowsに関して言えばいろんなメーカー製のパソコンが出ています。

ところが当時はメーカー毎バラバラ、(「MSX」はメーカーを跨いだ統一規格でいろんな家電メーカーが参入してました。CANONとかPanasonicのパソコンとかあったんです。Microsoftが規格に絡んでるあたりは今のWindowsと似てますね)

でも、当時はまだ家庭ではほぼ「趣味」の領域。ゲームでの需要が大部分だったと思います。

それから時代は進み1995年「Windows95」が社会現象になりました。

メーカーの独自規格は淘汰され、今のような「PC=Windows」のようになっていったのです。

そしてインターネットも今ほど簡単につながるような物ではなく、パソコンに電話回線をつないで、ビー!ンガーンガー!と画像一枚受け取るのもシンドイくらいの速度でした。

動画配信なんて出来るわけがありません。

インターネットに繋がっている間は電話はできません。ものすごい電話料金がかかるので、つなぎっぱなしなんかできません。

なので夜11時以降のテレホーダイという深夜定額料金の時間帯に利用したものです。

ちょっと変なところを覗いたりすると、勝手にダイヤルQ2に繋がってしまったりしたのも思い出です。

携帯電話もまだ「ガラケー」なんて言葉は当然無くて携帯でインターネットが観れるにしても、WiFiなんて存在しない。いい気になってネットをみたらもの凄い通信料金が発生する・・・10円メールなんてのがありました・・・メール1通送るのに10円ですよ?

僕が携帯を持ったのは確か1995年くらい・・・
P102とか、メーカーの頭文字と3桁の番号が機種名で、電話番号も今は11桁ですが、その当時は10桁でした。

だいたいそのあたりで21世紀到来。

僕が自分で初めて買ったパソコンはWindowsME(Millennium Edition)でしたが、これがポンコツで使えば使うほど遅くなる・・・。

その後、既存の電話回線を使ったADSL回線が普及し、定額で常時接続OK!電話と分離できるようになり、やっとインフラらしくなったのでした。でも通信速度は今の1/100です。

まだまだ遅すぎて動画配信はできません。それでもYAHOOのトップページがスパーン!と表示された時は「うわ!!はやーーーい!!」と喜んだものでした。

でも2チャンネルのような掲示板など、ネットの世界は文字中心でした。

そんなこんなでWindowsXPの登場。画面が滅茶苦茶綺麗で快適に、パソコンが急に高性能になったような気がして驚き、衝動的にSONYのVAIOを買いました。Pentium4が乗ってましたね。

そしてFLASHの流行。そう、「まいあひー!」が流行ったアレです。
FLASHは一本の動画そのままを送らずに、画像の中で動く図形のデータとそれをどう動かすのかが書かれたプログラムのような物で、パソコンに予めインストールしてあるFLASH PLAYERというソフトが、そのプログラムを実行することで簡単なアニメーションを表示する物でした。データ自体はとても小いので、その当時の回線速度でも、ものすごく手の込んだ動画や面白動画を配信する事が可能でした。作家さんをFLASH職人なんて言ってましたね。たしか「鷹の爪団」のフロッグマンさんもFLASHでアニメ作ってます。

その頃には一家に一台、あるいは一人1台になりつつあり、僕は自分用のパソコンは部品を集めて自作するようになりました。メーカー製のパソコンの半分の値段で2倍のパワーのパソコンが作れちゃいましたから・・・。

光回線が普及し始め、回線速度が爆発的に早くなり「ブロードバンド」と言われる超高速常時接続が一般的になると、遂には動画のストリーミング配信ができるようになります。

昔の映画やアニメが家にいながら好きな時に好きなだけ見ることができる!TVは1日2時間まで!なんて言われていた反動でガンダム全部観ました!!

そしてとうとう個人が動画を世界に向けて配信する時代。そう、YouTubeのスタートです。

今でこそYouTuberが巷に溢れていますが、その前に「ニコニコ動画」が動画配信の中心でした。

「初音ミク」ですよ。ボカロを中心としたムーブメントが起き、そこで活躍した人たちがプロのミュージシャンになっていたりします。米津玄師さんとか。

それと並行して「ツイッター」が流行り始めていつでもどこでも誰かと繋がっているようになります。

僕はその時、新潟まで通っていたのですが大雪で交通が麻痺。帰れなくなって退屈しのぎに駅中のヨドバシカメラで初めて手にしたスマホが「iPhone4S」でした。

僕はついに365日24時間インターネットに繋がっているようになったのです。

それが2010年頃。

回線速度はドンドン上昇し、街には公衆Wifiが溢れ、いつでもどこでもストレスなくネットにつながる。

携帯電話回線でも十分高画質な動画を楽しむ事ができる。

スマホでも超高画質の動画がとれるようになり、昔だったらものデスクトップの大きなパソコンでも相当な時間がかかった動画編集も、ノートパソコンでサクサクできてYouTuberが沢山うまれるようになり、全世代が楽しむようになりました。

もはや回線速度は十分高速で、様々なイベントが中止されるような世界的な大事件が起こっても、インターネットとパソコンを使えば、同じゲームを世界中の人たちとリアルタイムで楽しむ事ができる。

それが2020年。

若者と言われる世代が中心のガジェットだったスマホ。

旧世代の携帯端末を「ガラケー」というようになりましたが、それはつまり「スマホ」がいわゆる「普通の通信端末だよ」ということの裏返しだと思います。

つまり全世代においての「標準装備」になったという事。契約台数は人口よりも多いそうです。

ネットとデジタルデバイスを使って常時世界中とつながるようになった・・・

そんな人類の進化を僕自身、たったの35年で体験しているのです。

手の中に世界がある。

「スマホはもはや自分の臓器」

言い過ぎではないと思います。

その情報をどうやって体内に取り込んでいるのでしょうか?

そうです「目で見る」のです。

続く!

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