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色と感覚②ー色と情報ー

私たちは「色」というものを情報として使います。

例えば下のような棒グラフがあったとします。

これは横軸に「距離」縦軸には「ピント合わせが働いた量」です。

ではここにもう一つ、「目の緊張度」を情報として乗せたいとしたらどうしたらいいでしょうか?

そうです「グラフの色」を変えることでその情報を上乗せする事ができます。

縦横で2次元だったグラフが「色」という要素が加わったことで「3次元」になったのです。

これはプラオプがある長岡市中心部の洪水ハザードマップです。

平面な地図上に洪水が起きたときの予想水位という情報を加えるために、「色」と「模様」を使っています。

これは都内の電車の路線図

複雑な線の繋がりも「色」を追うことで電車がどこを通るのか知る事ができます。

「赤は止まれ」「青は進め」「黄色は注意」というふうに車でも飛行機でも船でも「色」を「信号」として活用しています。

私たちは「色」の違いを「情報」として使っています。

先回の記事で光そのものには「色」などついていないし、ましてや「明るさ」さえも無い。私たちは光の振動の違いを識別する能力があり、それが「色」や「明るさ」という結果として「脳」の中に描かれ、私たちはそれを見ている。と書きました。

色と感覚①

例えばここに、様々なセンサーが搭載されたコンピューターがあったとします。さてこのコンピューターはスイッチを押せば動いてくれるでしょうか?

ランプがついて空冷ファンが動き出しスイッチ入ったなー!!とはなるでしょう。

しかしそれだけでこちらが望む働きをしてくれるでしょうか?

多分ウンウン唸ってるだけで電力を消費するだけでしょうね。

何が足りないかと言えば「制御プログラム」が入っていないので望んだ仕事を始めません。

それは私たち生物も一緒で、体が健全でもそれを操る精神というか何というか、プログラム的な物がなければ活動できません。

生まれたばかりの赤ちゃんは、いきなり喋り始めませんし歩き始めません。

しかし、いろんな事を経験し、失敗して学習する事で様々な能力を身につけていきます。

それがすなわち「成長」でしょう。

生物は「生きる」という基礎プログラムしかない状態で生まれてきますが、「経験」というプログラミングを自ら施すことで様々な能力を獲得していくわけです。

それは「見る」という能力も同じです。

光の刺激を浴びて、体を動かし、触り味わい、そんなふうに「目」に映る何かが何であるか?を繰り返すことで「視覚」というのは育っていくのだと思います。

つまり「脳」の中に「世界」を描き出すことも「プログラミング」によって獲得できる能力でしょう。

「世界」が「頭の中で描かれている」としたら、それは「自分に見えている世界」が全ての人で同じだと言えるでしょうか?

僕は違うと思います。

例えば「赤色」は「緑色」でもなければ「青色」でもない。他の何色でもないから「赤色」なのだというように、色というものが「比較」によるものだとしたら・・・。

もし僕の頭の中をパカっと開いて僕の見ている「世界」を他の誰かが見る事ができるとしたら、「僕の赤色」はあなたには全く違う色に見えるかもしれません。

でも、「赤い物体」は他の何色でも無い事はお互い同じなので「それは赤」だとお互いに「同じ色だ」という事ができるわけです。

頭の中に作られた「色彩プログラム」は各個人で違ったとしても、比較して判断した結果が同じなら、「同じ色だ」と共通認識できるのです。

では、ハードウェアに違いがあって認識できる波長がそもそも違うとしたらどうでしょうか?

例えば初めから「赤」に対応するセンサーが無いとします。

それでも他のセンサーからの情報を使って頭には世界が描かれます。しかし、描かれた世界の中で「赤色」が欠落している事を感じる事はできません。

なぜならば、頭の中に描かれた世界が全てなので、初めから無いものはその人の世界には存在しないものだからです。そしてそれはその人にとって「普通」の世界なのです。

しかし、センサーが一つ少ないと、例えばピンクとグレーが同じ色に見えてしまったりという識別が難しい色の組み合わせができてしまいます。

人は生活の中で「色の違い」を利用しますが、独特の色彩感覚を持つ場合、大多数の色彩感覚との違いから誤解や間違いを指摘されて初めて自分の見ている「普通の世界」が他の人と違う見え方をしているかもしれない・・・と気がつくのです。

つづく!

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