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「進化の道具⑦」ー「見る」を進化させるー

こんばんは! プラオプ ハセガワです。

前回は僕の身の回りで起きたITの進化についてを書きました。

「進化の道具⑥」ー僕とITの進化ー

今は2020年。

「スマホはもはやオレの臓器!♫」から始まったこのお話。

パソコン、スマホの普及率が表しているのは、それがいかに生活に溶け込んでいて、特別なものではなくなっているという事です。

人は道具を生み出すことで進化をする。しかし生身の人体そのものは大きく変わっていないので「スマホという臓器」と人体がアクセスするには、今のところ人体に備わっているセンサー・・・つまり「感覚」をつかわなければなりません。

結局のところ、パソコンやスマホが表示する情報は「視覚」を利用して取り込んでいるわけです。

人の目は、見ようとする距離が近いほど「力」を必要とする構造です。

1980年代、パソコンゲームを長い時間やっていたら怒られていたのに、今や仕事で嫌でも一日中見続ける事をしなければならない・・・やっている中身は違っても、見ているものはほとんど変わっていない・・・

今の生活は目に力を使い続ける事が昔よりも求められているのに、それが人体の構造とマッチしていない・・・現在「見る事」のトラブルを抱えてしまう人が沢山いらっしゃいます。

どうして「疲れ」を感じるのか?

負担がかかり続けるとそれは「疲労感」となって現れます。それを感じるから休もうと思うわけで、体が休みを要求している健全なサインとも言えます。

では「負担」とは何か?

それはきっと「目的」を果たすために必要な「努力」なのかもしれません。

「視覚」について言えば、その目的とは何か?と考えたら「見たいものをハッキリと正確に捉える事」で、それを得るために様々な事をします。

たとえば「ピントを合わせる事」であったり「視線を合わせる事」であったり。

それが努力なしに自然に働いて「見たいものをハッキリ正確に捉える事」ができるのなら「疲労」は起きないでしょう。

でも「ピントを合わせるのが難しい」としたら、難しい事をなんとか頑張らないといけません。「視線を合わせる事が難しい」ならそれを頑張らなければいけません。その頑張りが蓄積して「疲労」とり現れるわけです。

逆に言えば「ハッキリ正確に見る事」を諦めてしまえば「疲労」は起きないでしょう。

つまり「ピントを合わせない」「視線も合わせない」

目を閉じたら楽になるのは、努力をしても見えない状態になる事で努力をしなくて済むようになるからです。

「視覚」を進化させる

環境に適応する事も「進化」というならば、変化した「見る事」へ適応する進化が必要です。

どのように「進化」したらいいのでしょうか?

「長時間近くを見続けても平気でいられる」「より近距離を見ても負担を感じない」

そんなところでしょうか?

近距離を見るときに掛かる負担を減らすにはどうしたらいいか?それは「明視域」をより近距離を見るのに適したものに変化させる事がヒントになりそうです。

「明視域」についてはこの連載で解説しましたが、つまりは「ハッキリ見る事ができるゾーン」の事

明視域が近くに移動すれば、例えば30cmを見るときに使う力「ピント調節力」は少なくて済みます。

しかしこれだけでは不十分です。

目は2つあり、両眼の視線が目的の物に一致しなければ正確な奥行きや距離感を掴めません。

寄り目はピント合わせと神経的につながって連携しています。

ピント合わせが少なくなると、自動的に起きる寄り目が少なくなり、両眼で一つに見る事が難しくなる場合も・・・

寄り目不足(輻輳不全)

つまりは「見る」というこの高度なバランスを「近く」に対応させる。

そんな事が今求められている「視覚の進化」なのかもしれません。

ではどうするか?

足りない能力を人は「道具」を作る事で補って来ました。

つまりは「見る」という仕組みを「近く用にシフトさせる」

それが今求められている「進化の道具」なのでしょう。

しかし、その道具はもうすでに巷に溢れています。

目の焦点そのものを変えてしまう道具、そう「眼鏡」や「コンタクトレンズ」です。

変化しなければいけないのは「眼鏡」そのものではなく「眼鏡」に対する考え方なのです。

続く!

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