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「立体視」と空間認知

世界が立体的に見えている人にとってはそれが当たり前であり、立体的に見えていない人にとってもそれが当たり前であり、お互いがお互いに世界がどう見えているのかを説明するのは、とても難しいものだとおもいます。

むしろ、いわゆる「正常な視界」を経験できなかった人が、なんらかの方法でそれを手に入れた時の感動は元々持っている人には感じる事ができないし、両方を知っているからこそ人の悩みが実感として理解できるのかもしれません。

ですが、あえて「立体視」を説明するとしたら「何もない空間が見える事」と言います。

写真や絵画では「遠近法的な手法」で奥行きが「表現」されます。
しかし、その奥行きが目で見ただけで、おおよそでも具体的な数字で言うのは難しいと思います。

しかし、現実ではどうでしょうか?

こちらにある物と向こうにある物との「空間」をおおよそでも具体的に言えるのではないでしょうか?

つまり「何もない空間を見ている」のです。

私たちを取り囲む「空間」、それこそを実体あるものとして感じる事、これが「立体視」でありそれは人が正しく「両眼視機能」を働かせる事で生まれる感覚なのです。

「立体視」を感じられないというのは、その「空間」を見る事ができない「写真や絵画」のように物の重なりや大きさの大小で遠く近くを理解できても、「空間」を感じられないということなのです。

ではこの感覚はどれほど大切なものなのでしょうか?

「空間」を感じられないという事は「自分の座標がわからない」つまり「自分の位置が分からない」という事なのです。見えている世界を平面的に捉えていたら、奥行きの中で自分の場所がわからない、掴めない、そもそも意味がわからないという事になるのです。

しかも空間が理解できないから上を向いたり下を向いたり右や左にみても、方向が変わるのではなく、見えている「写真が変わる」だけでそれが方向感覚とは結びつきにくいのです。
極端な話かもしれませんが、それは「視覚」ではなく体の感覚や経験によって補っているからであって、目で見た空間と体の動きがマッチするのはとても困難な事になってしまいます。

テーブルの上のスプーンを手に取る場合、目で「空間の奥行き」を見ていれば、正確に手をのばして掴む事ができるでしょう。

しかし、「絵画的に」見ているとしたらそれはかなり難しい事なのです。

つまり、人の立体視は「空間を感じて自分がその空間でどこに存在しているかが理解でき、しかも自分の体のパーツそれぞれの位置を立体的に感じている」ことで、正確な体の動きのために大切な事になるのです。

空間と自分の体がマッチしている。これが「空間認知」というものと私は思います。

単に3Dが飛び出すとか、そういうエンタメ的な面白い感覚なのではなくて、もっと根本的なとても大切なものなのです。

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