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物の価値って時間の対価なんじゃないかな

今日は準備室(自宅ですけど)に凄い方がお見えになりました。

写真と一緒にジャジャーン!とやりたいのですが、恐らく光回線のモデムが壊れちゃったんだと思います。インターネットが思うように使えません・・・こういう時にクラウドってアウトですね・・・写真があげられないので明日のお楽しみに!
でも、わかる人は「あ、あの人かな?」って思うかな?

今日のお題はずっと思っていた事と、お会いした方とのお話からです。

多分私はいわゆるメガネを5000円で買えるロープライスショップでは「無能」だと思います。

なぜなら10分で度数から何からを決めるスキルを持っていないからです。

30分、場合によっては1時間、会話を含めて検査に装用テストにレンズの説明してフィッティングしてレイアウトするのにかかるので、多分そういうお店では「邪魔」なだけだと思います。

でも、それは仕方がない事です。

なぜなら、お店を運営するのにかかるコストは売値に関係ないからです。

むしろ、大手ほど大きなテナントに入り、たくさんのスタッフを抱え、最新の機械を何台も使い、電気代、広告宣伝など一店舗あたりのコストは遥かにデカイはずです。

30坪のお店の家賃が50万円だとして、それは5千円で物を売ろうが10万円で物を売ろうが関係なく平等にかかります。
5千円で物を売っているからスタッフの給料が安くていいワケありません。

じゃあ、どうやってコストを埋めるのか・・・

数を売るしかありません。

つまり、お客様一人にかけられる時間を短縮する必要があるのです。

確かに効率を上げる事はとても大事な事です。
それは、快適なサービスに繋がるからです。

それが行き過ぎてしまえば残念ながら効率化を超えて、何かを省く事になって行くざるをえません。

メガネを必要とする人が、全て同じ問題を持っているわけではありません。
一人一人に個性があるように、「視覚」の問題は個性があって誰一人として同じではないし生きる環境や生活が全員違うから、要求される事だって全員違う。
顔の形も千差万別、それに美しく掛かるようにしなければいけません。

だから形にはまった毎回同じやり方で全員に最適なものを提供する事は難しいのです。

「視覚を整える」事が眼鏡士の最優先事項だとすれば、メガネを作る事は一人一向き合ってどれだけ時間を使えるかって事だと思うし、抱えている問題の解決がメガネの目的ならば、その役割を十分果たす事がメガネという道具に対する「満足」なんだと思うのです。

「安い」という感覚は相対的な物です。
「基準」となる物と比較して「安い」と感じる。
そして時間が経つと「安い」はずだったものが新たな「基準」になって、それと比較して「安い」と感じる・・・

こんなことを繰り返してとうとう本来の姿を留められなくなってゆく・・・
歪みが起きてゆく・・・

仮に5万円の物は5千円の10倍の値段ですが、5千円のものは5万円の物の10倍の件数が必要です。
しかし、5千円が一件10分とした場合、5万円は100分の時間が使えることになります。

数が少ないものの「価値」は高くなります。
それは、それを形作るのに沢山の時間が掛かっているから「数がない」のです。

職人の技術、芸術家の作品、これを読んでくださっているあなたの仕事だって必ず何かを生み出している。
希少な資源だって元をたどれば元素が悠久の時間の中で何度もなんども星の核融合と超新星爆発を経て生まれた物だそうです。
全ての人に平等に与えられた時間をどれだけ「一つ」に費やしたか・・・それが「価値」なんだと思うのです。

一個作るのに8時間掛かるものを100円で売れるワケがありません。
それが値段のカラクリだし世の中の仕組みだと思います。

今日、私の目の前には福井は鯖江の職人の魂がありました。

一本のメガネを次の代に跨いで使っていただけるような、そんな志。
職人が物造りの限界に挑戦する気概。
これが鯖江の本気だと訴えかけるオーラ。

それが実現できるのは何故でしょうか?

一本に掛けた時間にふさわしい対価が、関わった人々すべてを養う事ができるからです。

そこにはあらゆる人々の「リアル」
作り手、送り手、使い手それぞれの「リアル」があるのです。

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