カメラの話⑨ー最終回:現像ー
こんばんは!プラオプ ハセガワです。
カメラのお話9回目。
今日が最終回です。
なのでいままでの記事のリンクを並べておきます。
「写真」はカメラのボタンを押しただけでは「写真」にはなりません。
そこにもう一手間、「現像」という工程が必要です。
デジカメの現像って?
言葉を知っている方ならば「フィルム」を写真屋さんに出して「写真」という紙にしていただくイメージだと思います。
「フィルム」には撮影の時の光が当たって化学反応により性質が場所ごとに細かく変化しています。それを取り出したら光に晒されせっかくの撮影が台無しに・・・。
なので暗い部屋でフィルムを取り出し、これ以上化学変化が起きないように定着させます。
それを透かしてみたら「小さな写真」のような物が「実際に写って」いて、今度はそこに光を通して「印画紙」に焼き写して「写真」という物が出来上がるのです。(素人なので突っ込まないで・・・)
この「現像」。デジタルカメラでも行われています。
と言うのはデジタルカメラは光を色ごとにセンサーで受けて、その強さをデジタル信号に変換しています。
それだけであれば、ただの光の強弱を1と0の羅列で表しただけであって、目に見えるような代物ではなく色づいてさえもいません。
センサーが受けたデータを、人の目で見たときの印象に近い画像になるよう整える。
これがデジタルカメラにおける「現像」です。
で、どこでそれをやっているか?
それは「カメラの中のコンピュータ」が撮影した瞬間。
撮影した結果をすぐに「モニター」で確認ができるのはそのためです。
そしてそのまま保存しやすい小さな「データ」に圧縮して保存します。(それが.jpgという文字が付いたデータ)
カメラ任せじゃなくて自分で表現を調節したい・・・といった場合、センサーが受けたデータをカメラで操作せず、無加工の生データ(物凄い容量です)をパソコンで専用のソフトを使って操作する・・・なんて事をする場合もあります。
デジタルカメラの現像というと、この事を指して「RAW現像」と言われています。
可能であれば、このRAW現像はとてもおすすめです。
一回カメラの内部で「現像」されたデータは、整理され圧縮されて情報がとても少なくなっています。
これだけで「完成」とするならそれで十分なのですが、色の調子を整えたい、明るさを調節したい、白い部分を真っ白に表現したい・・・とかのばあい、「現像」されたデータでそれを行うと、やればやるほど画質が悪くなります。
イメージとしては「写真」から「写真」を作る感じ。
しかし、センサーの生データを使うと情報が多い分だけ画質の劣化が最小限で済むのです(最小限なのであって、撮影時にいかに上手く撮れているか?で最終的な仕上がりは雲泥の差です)
イメージとしては「フィルム」から「写真」を作る感じ。
なので、プラオプ の商材写真はパソコンで「RAW現像」しています。立派なスタジオは用意できないので、パソコンでなんとかしていると言うわけ。
カメラに「RAW」とあったらソレが生データを記録するモードです。でも、最終的に写真として世界共通の一般的なデータ(ようするに.jpg)にするにはパソコンとソフトが基本的に必要です。(いいカメラには大体ソフトがついてきますし、カメラメーカーのホームページからダウンロードできます)
目と現像
眼球から伸びた神経の束は統合され別れて交叉し、位置を変えて脳に届きます。
視覚にとって現像という工程は、「目」という臓器が受けた光の情報を「意味のある情報」にするという事
目で見ている世界は「脳」の中に描かれている物です。
しかし体は動いて何かに触れる事で、空間を実態として感じる事ができます。
視覚にとって「現像」とは、目で見えている事だけでなく、5感で感じた全ての感覚と統合する事なのかもしれません。
そう考えたら「見る」というのは目だけが行なっているわけではないと言えますね。
終わりに
何気なく見ていた道端の草花がとても素敵に見えるようになった・・・
何気なく通り過ぎていた街の風景がとても美しく感じるようになった・・・
カメラを通して瞬間を写真に切り取る。
そんな事を繰り返していると、何気ない景色や何気ない物が被写体になる可能性があって、そういったものに興味が行くようになりました。
僕が写真を通して感じた楽しさはそんなところです。
写真って楽しいですよ!ちょっとしたお散歩もなんだかワクワクします。
芸術の秋、カメラを持って出かけませんか?
では!
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